2013年10月14日

普通・渋谷行き

田園都市線を待っていると、行き先表示に「普通・渋谷」と書いてある。田園都市線の起点が渋谷だという頭があるからか、あんまり違和感なく見ていたのだが、よく考えたら一日に何本もないはず。

何だかちょっと得した気分(笑)。

しかし、一面二線で列車頻度も高い田園都市線、渋谷でどう折り返すのかは大変興味がある。

かといって、目的地通り越して渋谷まで行くのは、いくらなんでもあほくさいし……(笑)。
posted by らくた at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然人らくた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

今日のツッコミ

ラーメン屋のカウンターで、となりに座ったサラリーマン二人。どうやら、会社がいかに生き延びるか、自分の責任範囲の仕事をどうやりきるか、さらには「会社の売却」とかなんて話(もちろん、その人たちの会社のことかは解らない)まで飛び交っている。

男A「あなたは、これから2年くらい、今の仕事をどう引き継ぐかを考えて動くのがいいだろうね」

男B「まあ、そう見えますよね。ただ、いろんな生臭い話も知ってるんですよ。ここでは言えないけど、生臭い話もあるんですよ」

はい、ツッコミポイント。


(その1)

男Bの「ここでは言えないけど」って言葉。「俺は結構ハイレベルの機密事項が入ってくるくらい会社に重用されてるんだぜ」をアピールしたいんじゃないかな。本当に重大な機密事項なのか、大した話ではないのか。

何だか小さいなぁ……。


(その2)
やはり男B。「何か重大なことが起こる気配や予兆」ということが言いたいのであれば、そこは「生臭い」ではなく「きな臭い」が正解。


かなり残念だ……。
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2013年09月08日

ちょっとスーパー銭湯にでも行こうと思っていたのだが、うちを出るのも嫌な感じの雨が降っている。

今日も仕事以外では家を出ない一日になりそうだ(苦笑)。
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2013年08月07日

こちらもテスト

テスト。テストって打つと「テストステロン」っていうのが出てくるが、それはメジャーな言葉であるのか……謎だ。

そういえば、auの携帯を使っていた頃、「あけぼ」あたりまで打つと「曙ブレーキ工業」っていう候補が出てきた記憶がある。確かに業界最王手だか、そういうレベルの会社ではあるんだけど、そんなにメールで使う言葉であったかは甚だ疑問(笑)。
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メール投稿

そっか、メール投稿って、このアドレスに送れば良かったのか(笑)
posted by らくた at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然人らくた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このブログ

廃墟感が漂ってますね。

廃墟で一人で何かつぶやいている感じって、それはそれで楽しい感じもします。

夏草や つわものどもが 夢のあと

2013年03月11日

3月11日、ちょっと考えた一日だった

今日、お互い鉄道好きで仲の良かった大学の後輩(現在は宮城県で公務員をやっている)からメールをもらいました。その返信。今日について僕が思うことなので転載してみます。

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ごぶさた。

そうそう。話したいこともあるし、みたいなことをいってたんですが、あまりに話がまとまらなくてそのままになってました。

実は2011年の元旦は八戸で迎えました。で、正月早々八戸線、北リアス線、山田線、南リアス線を回る予定でいました。ところがその日、山田線が雪で不通で、その行程は代行バスで移動し、そのため時間がなくなり、釜石線で花巻に戻り、東京に帰りました。

また、その一年くらい前でしたか、北上に用事があって、そのついでに釜石線と南リアス線、大船渡線にも乗ってます。あの時、車窓から見えた大船渡と陸前高田の町を見て、ちょっと歩いてみたいな……と思ったのも覚えています。まさか「また」が叶わないことになるとは予想もしていなかったわけですが。

震災後、一ヶ月後くらいでしょうか、ひたちなか海浜鉄道に乗りに行き、やはりちょっと前に訪れていた那珂湊漁港の変わりっぷりに呆気にとられました。

そして去年の夏、車で相馬〜新地〜名取〜仙台〜七ヶ浜〜石巻、そして北上で一泊し翌日は宮古〜山田〜大槌〜釜石と一回りしてきました。

相馬では、自分が立っていた場所が住宅地であることすら判るのに時間が必要でした。新地ではカーナビに出てくる踏み切りが見つからず、どうなっているのか判らず、実は道路が踏切を覆うように作られていたのですが、それがわかるまでにはちょっと時間が必要でした。そして破壊し尽くされた駅前では重機の音が聞こえ、新しい電柱が立っていました。「復興は始まってるんだね」なんて少しホッとした気分になった僕の目に、電柱の張り紙が飛び込んできました。曰く「地権者が見つからないので、無断で仮設電柱をたてたが、ご理解いただきたい」というもの。そして閖上〜若林区。きれいに花が飾られた家の跡地(多分亡くなった方を弔うためのものじゃないかと思います)。そして七ヶ浜では海辺から数百メートルはあろうかと言うところに巨大な岩。住宅地らしき場所に積み上げられた廃車の山。

翌日は、通ったはずの町並みがわからなくなっている山田線沿いを南に下ります。

中でも駅の場所すら判らなくなっていた陸中山田。ここでは、もともと写真館があった場所なのでしょうか、「成人式の写真、貸衣装承ります。090-×××……」なんて立て札が立っていたのが印象的でした。必死に生きているんでしょう。でも「復興」なんていうとやっぱり違う感じがします。

「織笠駅」の看板に従って曲がってみる。ナビに頼って曲がってみても、駅にはたどり着けない。一面に家の土台だけが残されていて、駅に渡る橋や川を渡っていた鉄道の橋桁すら流されているのが判ってきます。集落の入り口に車を止めてカメラを構えている僕を、通りかかって少し複雑な表情で見ていた軽トラのおじさんの胸中は如何ばかりだったのでしょう……。

そして大槌。昨日だか今日もテレビに映っていましたが、町役場の前にあったビルにはスプレーで「解体してください」と書いてあったはずですが、その建物はまだ取り壊されていませんでした。

最後に、街中を何回か歩いていて勝手を知っているはずなのに、ランドマークがなくなっていて、歩けど歩けど判らなくなっていた釜石……。

「心が痛む」とかではなくて、見れば見るほど解らなくなりました。「復興」なんて僕ら「外の人々」は軽々しく言うけど、原発の問題はもとより、まだ殆ど「災害」そのものが終わっていないんじゃないか……。「外の人々」の一人に過ぎず、彼らの苦しみに思いを馳せこそすれ、多分解っていないであろう僕が、簡単に「被災地に思いを込めて」なんていう気持ちにはなっていいんだろうか……と、ちょっと複雑な気分で過ごした、今日、3月11日でした。

前回の訪問から半年少々が過ぎました。遅々としてではありますが、公共交通機関もBRTのような形で復旧しつつあるという報に鉄道雑誌で接しました。今週あたりは何日か時間がありそうです。その間にあわよくばもう一度彼の地に足を運んで、複雑な気持ちを再確認してこようと思います。

まあ、悪趣味な野次馬の謗りは免れ得ないかも知れませんが、それも覚悟の上で。

ではまた。
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2012年03月13日

似て非なるもの

殺人の容疑で起訴されている木嶋某という女性に対して、死刑が求刑されたという報道が昨日流れていました。まぁ、聞いているといろんなところが引っ掛かる事件でして、まぁ、かなり野次馬根性は刺激されるわけですよ。

事件そのものについても、男性週刊誌的な意味合いで興味は惹かれるわけですが、それよりもちょっと気になったのは、この事件についてのネット上なんかで見かける「反応」の方なんですね。この事件で死刑が求刑されたことについて、「木嶋某なんかさっさと死刑にしてしまえ!」的なコメントをネット上などでけっこう見かけるんですよ。世間の注目度の高い、特にワイドショー的にネタになる殺人事件などではしばしばこのようなことが起こっているような気もするのですがね。

ここで問題なのは木嶋某が、少なくとも現状においては「被告人」であるということなんですね「被告人」と「犯罪者」は「似て非なるもの」なんですよね。「被告人」と「犯罪者」の違いは何かといえば、被告人は「検察が立証しようとしている犯罪行為の主体と考えられる人物」、犯罪者は「検察が立証した犯罪行為の主体であると刑事裁判で認められた人物」あたりの説明でいいのかと思います。この事件の場合も、検察の説明通りの事件であるとするならば、なるほどまぁ、「死を以て償うべし」という議論は妥当であるような気もするんですね。言い換えれば、「現在の日本の刑罰の制度や実際に死刑判決が行われる基準に照らして考えれば、木嶋某が行ったとされる『行為』については死刑が妥当である」という議論は妥当ですが、「木嶋某に死刑を科すのは妥当である」という議論は、木嶋被告がまだ「犯罪者」でない以上は少々穏当を欠く議論と言えそうです。

何だかものすごくあたりまえのことを書いているような気がしてきましたが、もうちょっと。

このように考えていくと、もう一つ別の問題が引っ掛かってきます。「刑」は「罪」に対して科せられるものであるわけですよね。「有罪の認定」があって、しかる後に罪の重さに応じた「刑の重さ」の話が出来るということになります。つまり、「有罪/無罪の認定」の問題と「量刑」の問題も、一種の「似て非なるもの」と言えそうで、一旦切り離して考えたほうがわかりやすい気がします。

いかにも死刑判決の出そうな裁判で、死刑反対のイデオロギーを持った弁護団が組織されて……みたいな話を聞くことがあります。このような話には何となく違和感は感じていたのですが、どうやら「この被告の罪の重さの問題と、死刑があるべきかどうかは全く別の問題じゃないか?」という感じを持つからなんじゃないかと思うんですよ。これって「有罪/無罪の認定」の問題と「量刑」の問題が混同されている違和感という点で、「木嶋某を死刑にしろ!」という議論と同種のものに、僕には感じられてしまうんですね。

ところで市民の司法参加の形には「陪審制」と「参審制」に大別できるそうで、日本の裁判員制度はおおむね参審制を基礎としているといえます(資料)。この二つの違いの眼目は、「陪審制」では有罪/無罪の認定について陪審員が判断し、量刑は職業裁判官が行うのに対して、「参審制」では参審員は有罪/無罪の認定と量刑の双方に関与するという点です。このことを初めて知った時に、「陪審制ではどうして有罪/無罪の判定と量刑を切り離す必要があるんだろう……」という点が何だかものすごく引っかかったんですね。もちろんそこには様々な理由があるようですが、まだ理解できていないのですが、どうもこれを理解するためには「有罪/無罪の認定」と「量刑」を「似て非なる一連の問題」であるということから考え始めていく必要がありそうな気がします。

閑話休題。さて、では「有罪/無罪の認定」と「量刑」は別に考えることにして、ここでは「有罪/無罪の認定」の問題の方を考えてみたいと思うんですね。もちろん「犯罪を行ったこと」が認定が確定されれば、それに応じた刑罰が科されます。この段階で僕らはその人を「犯罪者」として扱います。ところが、世の中では「冤罪」というものがあるそうです。これもまた冤罪であることが「立証」され、それが認められれば「犯罪者」だった人が「無罪」の人となり、もっと言えば「国家権力の被害者」として扱われるようなるわけです。

冤罪の問題がなぜ起こるのか。もっとも根本的な問題は「犯罪を行った事実」と「犯罪を行ったと認定されたこと」が、これまた「似て非なる別のもの」であることに端を発しているような気がするんですよ。犯罪が「過去の事実」である以上、犯罪行為自体は「今ここにはないもの」であるわけです。であるとしたらこれを立証していくためには、「証拠の精査」と「証拠に基づく客観的かつ合理的な話の筋道」の二点が必要であることになります。「証拠の精査」するのも「話の筋道」を作るのもそれに納得するのも、どちらも人間の行為です。人間に行為には公明正大に努力しようが間違いが混在する可能性がゼロにはなりません。

よく「死刑の可否」が話題になります。被害者や被害者関係者の「報復感情の充足」は認められるべきです。そのためには「死を以て償うべき罪」が確実に存在するのではないかと思っています。ところが一方で、「被告人」を「犯罪者」とするときに「人間の判断」が介在していることに一定の危うさが確実に存在しているわけです。それなのに「死」という究極の形での刑罰を認めていいのかという問題があります。「人違いで殺した」ということの主体に、国家がなってしまう可能性を認めていいのかと言い換えてもいいと思います。

こう考えてくると、死刑存置論は「仮に間違って殺される人がいても、死を以て償う罪を犯した人間には必ずしかるべき償いをさせなければならない」をいうことを前提としており、死刑廃止論は「もし死を以て償うべき罪を犯した犯罪者すべてにその罪に応じた刑を与えることをあきらめて、その代わりにそこに混在する可能性のある『人違いの人』に対する名誉回復の可能性を保証する」という立ち位置に立脚しているものであると考えることが可能です。仮に「死を以て償う罪がある」ということを所与の条件としたとしても、「仮に間違って殺される人がいても」というリスクを簡単に考えることは出来そうもないし、一方で、死刑廃止論に与するところまで理性に全面的に依拠するのもそう簡単なことではなさそうです。

一人の人を死刑に処すること、あるいは死刑そのもののような難しい問題が、「勧善懲悪」の公式の中でものすごく単純に考えられ、結論付けられていく、木嶋某の事件の裏側に見え隠れするような気がして、なんだかうすら恐ろしい気分になっていきます。
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2012年01月19日

格助詞の「の」の用法について考える

格助詞の「の」は、現代語では「主格(=「が」に置き換えられるもの)」「連体格(=後の名詞を修飾するもの)」「準体格(=「こと」や「もの」「〜のもの」など、名詞に置き換え可能なもの) 」の3つが主な用法といってよいでしょう。また、「連体格の『の』」ですが、これはさらに2つに分けられます。「所有」と「非所有」です。「私の本」が所有の用法、「パソコンのキーボード」は非所有の用法であるといってよいでしょう。

ただ、「所有」と「非所有」はそんなに画然と分かれてはいません。例えば「うちの車」みたいな用法。「うち」は所有の主体になるかどうかの問題があるわけですよ。ところが、この「所有の『の』」と言うやつ、よく考えるともっとややこしい問題があります。例えば「私の娘のカバン」という表現。この「の」は基本的にはいずれも「所有」と見ていいでしょう。ところが、カバンには尊重されるべき人格は存在せず、娘は娘のカバンを捨てたり譲渡したりすることは可能ですが、娘には私とは別の人格があり、私は娘の所有権を主張することもできなければ、娘を廃棄したり譲渡したりすることはできないわけです。では、この「所有の『の』」と呼ばれるものを、仮に「支配権・処分権を持つ『の』」と「とりわけて深い関係の『の』」とでも分けてみましょうか。すると「私の娘のカバン」の場合、前者は「とりわけて深い関係の『の』」であり、後者は「支配権・処分権をもつ『の』」と説明できそうです。こう考えると、純然たる「所有の『の』」は「支配権・処分権をもつ『の』」であり、「とりわけて深い関係の『の』」は、純粋な「所有」とは些か異なる概念だと見てよいのではないかと思います。

では、例えば「僕の母の人生」の場合。「僕の」は明らかに「とりわけて深い関係の『の』」でしょうが、「母の人生」の「の」はどうでしょう?僕にはどうしても「とりわけて深い関係の『の』」に見えます。「母の人生」に母は深く関わっていますが、母は自分の人生を、誰かのよりよい人生と交換したり、誰かに譲渡したりすることは出来ないわけです。その意味では母の自分自身の人生との関わり方は少なくとも「所有」とは別の関わり方であると言えるはずです。つまり、僕たちは、誰よりも深く「自分の人生」に関わらざるを得ないのですが、人生を「所有」しているわけではないので、自由意思で処分はできない。ただ、「自分の人生」にどう関わっていくかは、様々な状況の中で選択可能な範囲(その「広さ」は様々であるにしても)での「自由意思」に任されてよいと考えていいんだと思います。

「僕の人生」って言葉の「の」を「所有の『の』」と見るのに何となく違和感を感じたことから考え始めた話なんですね。で、話がまとまっていくうちに「この捉え方ってものすごく俺の人生観表してるよなあ……」って気がしてきたんですね。僕の場合、自分の人生にそれほど一生懸命に関わろうという気持ちもありません。夢のない死に待ち人生と言えばそうかもしれませんし、自然体で生きると言えばそうかも知れません。いずれにせよ、人生の「所有者」でない以上、死ぬまで生きるしかないんでしょうね。
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2009年02月07日

緊急ライブ

12月に岩手に行って、完全アウェイなライブに出演して、コテンパンな演奏をして、完膚なきまでに凹んで帰ってきた……なんてことがありました。


先日、このイベントの主催者の〆さんから突然メールが来ました。曰わく「イベントをやらせていただいていたお店の店長さんが辞めることになった。ついては2/17(火)にお別れライブをやる。参加できる人は参加を、参加できない人はメッセージなどをもらいたい。なお、当該イベント再開の見通しは立たない」とのこと。


……困った。リベンジのチャンスがなくなってしまう……。


……あ、そうか。2/17に行けばいいのか!


というわけで2/17は、急遽岩手県北上市でライブに参戦ということになりました。まあ、2曲くらいという話ですから、練習時間があまりなくても何とかなるでしょう。ここで「新曲発表」なんてことを考えなければね……(笑)。


ところで、前回のライブの時は「完全アウェイ」だと思って乗り込んだんですが、今回は全くアウェイ感を感じていません。今回だって、確実にいる知り合いは一人、多くても数名な訳ですから、客観的に見れば十分にアウェイであるにもかかわらず……です。「アウェイ」は遠くにあるんじゃなくて自分の中にある……ってことなんですよね。

縁は薄かったかも知れませんが、いつの間にか忘れていた、そんな当たり前のことを思い出させてくれた場所に、ひとまずしばしの「さよなら」を言ってきます。
posted by らくた at 00:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽人らくた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

John David Souther( at Billboard LIVE TOKYO)

1/28(水)、行って参りましたよ、24年ぶりのニューアルバム"IF THE WORLD WAS YOU"を引っさげてのJ.D. Southerの日本公演。ニューアルバムの発表が24年ぶりの、僕の知る限り15年くらいは来日していない還暦を過ぎたミュージシャンの日本公演……ことによるとこれが最後のチャンスになるかも知れないという危惧もあり、いき勇んで出かけます。


さて、本日は大枚7800円をはたいて、最前列か2列目の席であることが予想される「自由席エリア」とやらを予約します。現地には開演1時間半前の開場時間頃に到着。「高額な方の自由席」だけのことはあって出来るだけ良席にありつこうと、お客さんの到着も早いわけです。僕はステージ中央から二つ目のテーブルに通されます。つまり概ね4メートルくらいの位置にJ.D.が立って演奏する、というわけです。ステージ上のアーティストが米粒のようにしか見えず、しかも結構な金額を取られるライブに慣れている僕にとって、「神」のひとりがこの距離で歌うのが見られるわけですから、この時点で7800円は「大枚」から「恐ろしく安い買いもの」に変化するわけです(笑)。

それにしてもオシャレなお店です。ステージの向こうの窓からは六本木の夜景、間接照明に映し出された調度品もどことなく落ち着いて見えます。僕の隣ではコース料理を食べながら談笑する品の良さそうなご婦人お二人。給仕をする店員さんも、思わず「ギャルソン」などと、使いなれない言葉で表現したくなるくらいオシャレです。そのギャルソンが僕のところにもオシャレなメニューを持って来ます。そこには様々オシャレな飲み物食べ物が載っている訳ですが、オシャレでない僕には何が何やら皆目分からない。結局辛うじて理解の範疇にあった「アサヒスーパードライ(生)」を所望します。こうして、ボサボサ長髪のメタボなメガネ中年男がかねて購入の日刊ゲンダイを読みながらビールを飲んでいるという図が出来上がり……如何に僕が場違いかお分かり頂けるかと(笑)。

さて、ステージにはスタインウェイのグランドピアノとGibsonの小さいボディーのアコギが2本。。ボディーは同じサイズでないかと思われ、いずれもピックアップが載っています。方やブラウンサンバースト、方やナチュラル。後で判ったことですが、サンバーストの方はレギュラーチューニング、ナチュラルの方はオープンGチューニングです。

7時。ステージ後ろに六本木の夜景を見せていたガラスの前のカーテンが閉まります。薄いグレーのスーツに濃いめのグレーのシャツにノーネクタイ、かなり寂しくなった白髪にかなり白くなった無精髭の初老の男性がステージに立ちます。「色男」もやはり歳は取るわけです(笑)。短いMCの後、早速"Simple Man, Simple Dream"からライブは始まります。この時にやっと自分の前に立っている初老の男性がJ.D. Southerであることをアイデンティファイします。やはり寄る年波なんでしょうか、憂いを含んだ艶やかな高音はちょっと影を潜めた感じはしますが、それでも中域から低音域にかけて時々顔を出す、何ともJ.D.らしい色っぽい「ヨレ」というか「余韻」というか、そのあたりに僕の大好きな「J.D.節」は健在でした。

ところで、ちょっとびっくりしたプレイを一つご紹介しておきます。"Baby Come Home"という曲ですが、この曲はアルバム"Black Rose"に所収された曲で、J.D.のボーカルにJoe Walshのスライドギターが絡んでいく、らくた垂涎モノの曲です。J.DはオープンGチューニングのギターを持ちます。この曲は間奏のところで同主調転調するのですが、間奏に入るところでこのギターの2弦を半音下げ、またメインに戻るところでは2弦を半音上げるという荒業をやっていました。ギター一本での弾き語りでこういうことをするのもアリなのか……と、いたく驚いたらくたでした。

今回のライブは全てJ.D.のギターかピアノの弾き語りだったのですが、聞いているうちにあることに気づきました。「実はJ.D.はギターよりピアノの方がうまいのではないか」という疑問です。そしてその「疑問」は、少なくとも今回のライブを見る限り、ライブが進めば進むほど僕の中で「確信」に変わっていったことも付け加えておきたく……(笑)。ただ、僕がJ.D.の信者であることは一定程度差し引くにしても、やはり彼の歌の「説得力」はものすごいものがあるような気がします。この曲がJ.D.の曲であることはさっぱり忘れていたのですが、Don Henleyがイーグルス解散後最初に発表したアルバム、"I CAN'T STAND STILL"に収録されている"Talking To The Moon"という曲があります。ピアノ弾き語りで歌った(これ自体かなりのサプライズでした)のですが、ひょっとするとDonの歌ったものよりもいいかも知れません。彼の歌う歌には、上手い下手とか、そういう次元をはるかに超越した「作った人にしか出せない何か」を感じるんです。それが僕にとって彼が「神」たる所以であり、目指したいものでもあるんじゃないかと思うんです。

新旧取り混ぜて様々な歌が歌われます。ところが僕、最新アルバムは全部の曲名が即座に分かるというところまでは聴き込んでいきませんでした。したがって曲名が分からなかった曲は"IF THE WORLD WAS YOU"の曲ということになります。ところがどうもこれらの曲の方がJ.D.の声が輝いて聞こえたんですね。もちろんアルバムでのイメージが僕の中にきちんと出来上がっていないということもあるでしょうし、また特に新曲の場合、今のJ.D.のキーにあった曲であるということもあるのかも知れません。ただ、一方で言えそうなのが、J.D.はまだ「現在進行形」のミュージシャンであるんじゃないか、ということです。おそらくこれほど寡作なミュージシャンも珍しいのですが、どうやら「考えている時間」が極端に長いだけのことで、まだ彼の中には「今」作って歌いたい歌があるんじゃないかという感覚。新曲になると活き活きする感じ……もちろん彼のことなので何年後になるか分かったもんじゃありませんが、生きているうちにもう一度や二度は新しい「現在進行形のJ.D.」を僕が耳にするチャンスがあるんじゃないか……と期待できたというのが今回のライブの偽らざる感想です。

さて、ライブも佳境に入り、イーグルスが最新作でカバーした"How Long"、そしてJ.D.の代表作である"You're Only Lonley"と続き、ライブは終わります。もちろんこの後でアンコールがあるわけですが、この2曲をやってしまうと最後に何が来るんだろう……と思っていると、最後はイーグルスの"The Best of My Love"です。特にものすごい思い入れがある曲というわけではないのですが、この曲の前奏が流れてきた時、何故だか分からないのですが涙が出そうになりました。この曲を残してステージから引き上げていったJ.D.に心からの喝采を送ったことは言うまでもありません。

この後、もう1ステージあるので、見て帰ろうか迷ってのですが、かなり集中していたんでしょうね、ものすごく疲れを感じていました。後ろ髪をひかれる思いはあったものの、結局帰途に着きました。一方でそこには、「きっとJ.D.はまた僕らに新しい彼の歌を届けに来てくれるはずだ」という確信めいた感覚があったのも事実です。

また、是非新しい歌を引っさげて、歌いに来てくれると信じています。



セットリスト(一部分からなかった曲がありますが、後で確認したものも含めて。括弧内はアルバム名)

1.Simple Man, Simple Dream("BLACK ROSE")
2.White Rhythm And Blues("YOU'RE ONLY LONELY")
3.I'll Be Here At Closing Time("IF THE WORLD WAS YOU")
4.New Kid In Town(EAGLES"HOTEL CALIFORNIA")
5.Jesus In 3/4 Time("JOHN DAVID SOUTHER")
6.I'll Take Care Of You("HOME BY DAWN")
7.Baby Come Home("BLACK ROSE")
8.Go Ahead And Rain("HOME BY DAWN")
9.Silver Blue("BLACK ROSE")
10.Journey Down The Nile("IF THE WORLD WAS YOU")
11.Faithless Love("BLACK ROSE")
12.A Chorus Of Your Own("IF THE WORLD WAS YOU")
13.Talking To The Moon(Don Henley"I CAN'T STAND STILL")
14.The Border Guard("IF THE WORLD WAS YOU")
15.Rain("IF THE WORLD WAS YOU")
16.How Long("JOHN DAVID SOUTHER")
17.You're Only Lonely("YOU'RE ONLY LONELY")
(アンコール)
18.The Best Of My Love(EAGLES"ON THE BORDER")
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2008年06月09日

病気だな……俺

今、テレビでニュースを見ていて、オバマ氏が映った。それを見て思ったこと。


「あ……あのマイク、SUREのBETA57だ……」
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2008年06月04日

昨日は火曜日じゃん

曲を作ったりギターの練習したりしてたらこの時間

。ラジオ更新日だったのに、すっかり忘れてた……。

金曜日にやろう……。お聴きいただいているみなさん、ごめんなさい。
posted by らくた at 04:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 管理人らくた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

第9回



らくたのPOD CASTING RADIO第9回です。今週は「らくたのフリートーク・やっぱり生が好き!(笑)」にというテーマ(……は録音後に決定……汗)喋っております。よろしかったらお聴き下さい。

コーナー:「らくたのフリートーク・やっぱり生が好き(笑)」

BGM:TONKAP WORK20030409
            WORK20030408
エンディング:ろばやん 渓流ver.2

曲:やんべひろゆき "pierrot"

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