2005年07月11日

先日の出来事

先日、以前書いた「新小岩という地名に関する考察」という記事について、----様という方からメールを頂き、「小松菜の名称と地名〈小松〉」という、----様が「全国歴史研究会」から刊行されているの『歴史研究』という雑誌に発表なさった原稿をお送りいただきました。

僕の「新小岩という地名に関する考察」の記事は、書いてあることはある程度「知的な遊び」の要素を含んではいるにしてもあくまで「遊び」の域は出ていないので、真面目に研究活動をなさっていらっしゃる方から論文をお送りいただくのは大変恐悦至極なことなのですが、その一方で大変勉強になりました。この論文では「小松菜」の名前の由来となった「小松川」の地名、またその地名の由来となる「小松」の地名の由来について、平安末期にまで遡って考察が行われています。

「制度」として定められた地名(例えば戦後東京で行われた「地番整理」以降の地名などがこれにあたります)であれば、その所以を検討することは比較的容易なことではあると思います。しかし、地名は本来「決められたもの」というよりは「呼ばれるようになったもの」であるため、時代を遡れば遡るほど文字史料の検証を基礎とする(不文史料にもとづく歴史研究ももちろんあるのですが…)歴史学の方法論から言うと非常に検証しにくい分野になっていくんじゃないかと思います。そもそも地名というものは、その地域に生きた人々が感じてきたもの、大事にしてきたものをあらわす口碑のようなものである側面があると思います。

例えば、一見無味乾燥なものに見える現在の「新小岩」という地名について考えた場合ですら同じことがいえそうです。この地名が成り立つためには、ここに住む人たちが、この地域が持つ「風土」に対してはそれほどの愛着を持たず、鉄道駅を中心とした「経済活動の拠点」として捉えた結果ということも出来そうです。またベッドタウンとしての人口流入の結果としてこの地域に自分のアイデンティティーを投影する層が相対的に少なかったこともこの地名を受容し得た一因ではありましょう。

さて、先にも述べたとおり歴史学では、「史料」の存在が「こういうことがあった」「こういう人がいた」を説明するための必要条件となります。その意味で歴史研究で扱われるテーマは「史料が存在するもの」ということになると思います。ただ、史料がないから「こういうものはなかった」「こういう人はいなかった」ということでは決してありません。もちろん歴史学を齧った人間としては、歴史学の方法が歴史を投影しないなどとは思いませんが、歴史学が映し出しえない歴史はあるような気がするんですよね。確かにそれを大胆に(場合によっては飛躍を含んだ)推論を立てつつ考えていくことは「科学的」ではないかもしれませんが、こうした「推論」が多くの人の批判・検討を経ていく中で姿を現していく歴史もあっていいし、また、確かにあるんじゃないかと思っています。

「小松」「下総小松」「新小岩」といったキーワードでこのブログを検索してくださる方も多いようですので、皆様の研究活動の一助になればと思いまして、----様からお寄せいただきました雑誌等の詳細を記しておきますので、参考になさってください。

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・『歴史研究 第496号(2002年9月 特集坂上田村麻呂の謎)』所収
    題名:小松菜の名称と地名〈小松〉

上記論文が所収された「歴史研究」は葛飾区内の図書館などに----様が寄贈されているそうです。またこの続編的なものとして下記の論文もご紹介いただきました。

・『歴史研究 第511号(2003年12月 特集対決の日本史)』所収
    題名:「地名に込めた芭蕉の想い」

雑誌『歴史研究』についてのお問い合わせは下記のとおりだそうです。

全国歴史研究会
住所:東京都品川区西五反田2-14-10五反田ハイム504

メールを頂いた方から雑誌の詳細等はメールにて再度確認させていただいたのですが、このエントリーへのお名前の記載に関しては許可を頂いておりませんでしたので、ご本人の確認が取れるまで名前は伏せさせていただきます。また全国歴史研究会の電話番号も頂いているのですが、まだ僕が直接この番号の確認は取っていないため、僕が確認を取るまで掲載は控えさせていただきます。
posted by らくた at 03:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 道楽人らくた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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